ただワーカーホリックな事が取り柄の夫の生きた記録

世界は今日も素敵で未来はきっと明るいはず。私はもっとシンプルで、気楽に自由に便利に、良い仕事と快適な生活がしたいんだ。

スポンサードリンク

CG屋としての自分――揺れるアイデンティティと進むべき道


CG屋はCG屋だ。

人生のすべてをぶっ込んで、何も残らなくても覚悟を決めてやり抜く。誰も褒めてくれなくても、自分で自分を認められるように走り続ける。そう思っていたし、実際そうしてきた。


これまでの道のりは簡単じゃなかった。理不尽な怒りをぶつけられたり、徹夜続きで身体を壊しそうになったり。それでも「これがCG屋だ」と、自分に言い聞かせて耐えてきた。自分の手で何かを作り上げる。それが唯一の誇りであり、アイデンティティだった。

 

** でも、最近少し変わった

ここ数年、いや、ここ最近になって、どうも悩むことが増えた。年を取ったからなのか、毎日怒られることに疲れたのか、自分でも理由ははっきり分からない。でも、昔ほど「全力でやるぞ」と思えなくなっているのも事実だ。


今、自分はそこそこ有名な会社で幹部扱いをされている。きっと周りから見たら羨ましい立場なのだろう。いっぱい作ったし、いっぱい経験もした。でも、「3D屋としての自分」は、もう薄れてしまっている気がする。


3Dをやりたくてこの世界に入ったのに、今は管理や調整ばかりで手を動かすことは少なくなった。誰かが作ったものを見て「良いですね」と言うだけの自分。本当にこれでいいのか?本当の自分の姿がこれなのか?そんな思いが、ふと頭をよぎる。

なんで調整役ばかりなのか?

まあ、多少出世するとはそう言う事だと思うが、流石に極端すぎる。

 


** 後悔したくない

最近よく考えるのは、「もし死ぬときに、自分は後悔しないだろうか」ということ。


自分の人生、やり切れたと言えるのだろうか。関わった人たち、特に家族――妻を不幸にしていないだろうか。もちろん夫婦関係は円満だし、感謝もしている。でも、それをちゃんと言葉で伝えられているかというと、正直自信がない。


仕事ばかりに打ち込んできた自分。作り上げたものや積み上げてきた経験を、誰かに伝えたい気持ちもある。でも同時に、「もう十分だろう」と思う気持ちもある。やり切ったと胸を張るには、まだ遠い気がするけれど、どこかで区切りをつけたいとも思ってしまう。


これもただの自己満足なのだろうか。こんなことを悩んでいる時点で、もう自分は年を取ったのだなと実感する。若い頃のように、がむしゃらに突き進むだけではいられなくなった。


** でも、揺れている。

「だめだ、まだだめだ」と自分に言い聞かせている。

まだ走らないといけない。まだ作らなければならない。自分が背負っているもの、これまで受け取ってきたものを、ただ途中で投げ出すわけにはいかない。


渡されたタスキは、それを許してはくれない気がするのだ。自分を信じて走り続ける。それがCG屋としての自分の役割なんだと思う。

でも、これで終わる人生は果たして後悔がないのだろうか?


悩みながらも進むしかない。だって、まだ僕の人生は終わりじゃないから。

CG会社に入るのにデッサン力は必要か?嫌でもやるしかない理由

CG業界を目指す人なら、一度は気になったことがあるだろう。
「CG会社に入るのに、デッサンって本当に必要なの?」

この話題、専門学校の説明会や、作品添削の時、よく議題に上がるよね。
正直、みんなデッサンをやりたくないからだと思う。
面倒だし、描けない自分に直面するのはつらい。
分かる。
めっちゃ分かる。

でもね、結論から言うと、必要だ。やるしかない。

なぜデッサンが必要なのか

美大出身の人たちを見てみると、驚くほどデッサンがうまい。
当たり前なのだが、上手くなければ入学できていないからだ。
しかも、彼らは同じ業界を目指す「ライバル」だ。

専門学生は、そんな人たちと戦わなければならないのだから、デッサンができるかどうかは大きなポイントになる。

デッサンができる人は、「観察する力」「形をとる力」を持っていると判断される。そして、「絵が好き」であり、「上手くなるために地道に努力ができる」と判断される。

これは、モデリングやアニメーションなど、CG制作の基礎に直結するスキルだ。
作品や面接で評価が同じような人が複数いたら、最終的にはデッサンの力で決まることも多い。

特に大きい会社に入るなら、なおさらデッサンは重要だ。
なぜなら、大手企業では採用基準が「減点法」で進むことが多い。
つまり、少しでもマイナスになる要素があると、それだけで選考から外れる可能性があるということ。
デッサン力が低いだけで減点・選外とされることを考えると、やらない手はない。

嫌でもやるしかない

「得意なところを伸ばせばいい」とか、「苦手なことはやらなくてもいい」という意見を聞くこともあるけど、それが本当に通用するのはごく一部の天才だけだと思う。

例えば、仕事で頼まれたモデリングが苦手だったとして、「僕、これ苦手なのでやりません」と言えるだろうか?
そんなの無理だよね。結局、仕事では「できることを増やす」努力が必要なんだ。
だから、デッサンも同じ。嫌でも下手でも、とにかくやるしかない。

下手でも下手なりに、描き続けていけば、少しずつ形をとる力は身についていく。
最初から上手じゃなくてもいいんだ。ただ、その努力を見せられる人が最終的に残っていく。

デッサン力は“保険”でもある

デッサン力を身につけることは、単に採用で有利になるだけではない。仕事での応用力にも繋がる。
例えば、モデリングやデザインの構造が崩れてしまったとき、デッサンの力があると、「形」の本質を見極めて修正できる。

しかも、CGをやっているとデジタルだけに頼りがちになるけど、アナログの基礎を持っていると、その経験がデジタルにも良い影響を与えることが多い。
これは多くのCGアーティストが口を揃えて言うことでもある。

最後に

デッサンは面倒だし、簡単なことではない。でも、CG業界を目指す以上、避けて通れないものだ。

「得意なところだけやればいい」「苦手は放っておけばいい」なんて考えは捨てた方がいい。
仕事は「苦手でもやる」が基本。それを考えたら、デッサンに苦手意識を持っている人も、嫌でも始めるべきだと思う。

最初は下手でも大丈夫。描き続ければ、少しずつ変わる。
そして、いつか「デッサンをやっていて良かった」と思う日が来るはずだ。

デッサンは、書けば書くほど上手くなるものだ。今度、上手くなるコツ、上手く見えるコツも書いてみたいと思う。

ともかく、まずは手を動かしてみよう。

泣きたくなる日――買収時の約束が保護にされた話



先日一通のラインが届いた。
僕は、その内容に、絶望したし怒りを覚えた。
買収時に交わされた約束が、あっけなく保護にされた。

この日ほど心が折れそうになった日はない。

詳細についてはここでは触れられないが、僕の処遇や待遇の話ではない。

でもその一件を通じて、職場のあり方や自分の働き方について改めて考えさせられることになった。

経営というものは残酷で厳しいことは十分に理解しているつもりだ。
利益を出すために、時には約束を変更せざるを得ない状況があるのもわかる。
だから給与削減にも応じたし、中核企業の管理職も兼務で引き受けたんじゃないか、、、。

だめだ。約束が違う、、、なんていう考えが離れない。
仁義が通らないやり方を目の当たりにすると、やりきれない気持ちになる。

働くモチベーションとは

週末、一人昼間時間を取り、近くの公園で一人、じっと木の影を見て考えていた。

「そこまでしても、俺がこのまま今の会社で働きたいと思っているのだろうか?」
「少し有名企業で立地もいいし、オフィスも素敵でバリュー感があるから、俺は辞めないとでもたかを括ってるのじゃないか?」



その疑問が頭をよぎった瞬間、自分のモチベーションの根幹がとても大きく揺らぐのを感じた。

私たちはなぜ働くのだろう?生活のため、家族のため、自己実現のため、いろいろな理由がある。

だが、その前提には、「約束を守る」「信頼を築く」という、人と人との基本的な絆があるはずだ。
約束が守られない状況で、それでも身を削って働く。

私はそんな尊厳をなくした家畜のような愚かな人間にはなりたくない。

誤解されたくない

ひとつ言いたいのは、「全力で働くことを拒否しているわけではない」ということだ。

むしろ、私はこれまでできる限り全力を尽くしてきた。
社畜?その通りです。だから何か?
プライドを持って仕事に全力で取り組んだ。
休日も月に2日取れればいい方。
帰宅がテッペンを超える日もザラだ。
他の人が起こした問題も、止まっていた事案も全て拾って解消させてきた。
もちろん全部うまくいっているなんて言わない。
それでも一定の結果を出し続けてきたと思う。
その評価がなければそもそもこんな役職にはいないはずだ。

だが、約束が軽んじられる状況で働き続けることは、私自身の価値観や誇りに反する。

それが耐えられないのだ。

今、立ち止まるべき時かもしれない

今回の一件を受けて、自分の働き方を見直すべき時が来たのかもしれないと思った。

今後の道をどう選ぶかはまだ決めていないが、この気持ちを抱えたままでは前に進めない。
人生の中で働くことは大きな部分を占める。
それならば、ただ働き続けるだけでなく、自分の価値観や理想を反映できる場所を探すことも必要なのではないだろうか。

この記事を読んでくれたあなたへ

みなさんの職場では、約束が守られない状況に直面したことはありますか?
その時、どう対処しましたか?ぜひコメント欄で意見や経験を共有してください。
この迷いの中で、他の人の視点が大きな助けになるはずです。

大企業の課題と小さな会社からの教訓

転職してから、大企業の働き方について色々と考えさせられるようになった。
最近見た中で特に印象的だったのは、「働く人とサボる人の割合」だ。

本気で頑張る社員のおかげで成り立っている会社だというのは間違いない。
優秀な人も多い。
だが、組織内では「その事実を忘れた人たち」が、堂々とサボっている様子が目立つ。


不適切な上司が助長する「サボり文化」

本来なら、サボっているような人たちはシュリンクするか、部署異動などで組織全体を正常化するべきだ。
しかし、不適切な上司がその状況を放置している場所では、「サボり」が暗黙の了解になりつつあるという。
休憩という素敵な言葉に置き換えられて。

この会社の場合は、全体の4割が頑張り、もう4割がサボっているように見える。
それでも、残りの頑張る人たちがいるおかげで、なんとか会社が回っているのだ。
しかし、これがどれだけ危ういバランスなのか、私は話を聞きながら冷や汗を感じた。

特に小さな会社で働いてきた私たちの感覚では、こんな状態は考えられない。
サボる余裕なんてなかったし、全員が全力で動かなければ会社が立ち行かなくなるのは明白だったからだ。

足元を救われる危険性

会社の売り上げに余裕があるからこそ、こういう状況が生まれるんだろうけど、油断していると足元を救われる気がして怖い。

売り上げがあれば、正直すぐには問題が表面化しない。

しかし、少し経営が傾いた瞬間、この“サボり文化”が会社全体を沈めてしまうリスクは大いにあると思う。
頑張っている4割の人たちにさらに負担が集中する構図が見えている。

大企業の現実を見て

大企業には、確かにスケールの大きなプロジェクトや、多様な人材が揃っている。
それは本当に素晴らしいことだと思う。
一方で、その規模の大きさゆえに、効率が悪かったり、不公平感が生まれたりすることもある。

私たちが小さな会社で学んできた「全員が役割を果たす」ことの大切さを、もっと共有できればいいのにと感じる。サボる人たちを一概に責めるのではなく、どうすれば組織全体で頑張る文化を作れるか。それを考え続ける必要があると思う。

このオフィスが「砂上の楼閣」でないことを祈るばかりだ。
大きく見えても、その土台が脆いのであれば、少しの揺れで崩れ落ちてしまうから。

この記事を読んでくれたあなたへ

あなたの職場では、頑張る人とサボる人のバランスはどうなっていますか?
どのようにして公平で健全な職場環境を作っていますか?ぜひコメント欄で意見をお聞かせください。

油断が事故を招く――データ確認の大切さを痛感した出来事

ある日、帰宅するといつも以上に疲れを感じた。
心配した妻に、どうしたのかと聞かれた。

仕事の愚痴を家で言いたくなかったから、一言だけこう呟いた。

「危うく大事故になるところだったよ……」



その日、職場では納品直前に大きなトラブルが発覚した。
原因は「データ確認の怠り」。
納品データとして提出された動画が、最終確認済みのものではなく、リンク切れの音楽が含まれた不完全な動画だったのだ。

気がついてくれたのは、たまたまその場にいた彼の上司。å
もしそのまま納品が進んでいたら、取引先との信頼を損ねるだけでなく、プロジェクト全体が大きなダメージを受けていたかもしれない。

油断が招いたミス

このミスの原因は何だったのか。夫に詳しく話を聞くと、以下の問題点が浮き彫りになった。

1. 最終確認の怠り
スタッフが動画を確認したつもりでいて、別のバージョンの動画を納品データとしてアップロードしてしまった。


2. データ管理の甘さ
作業中のデータと最終版データが明確に分けられておらず、どれが最新か分かりづらい状態だった。


3. 確認を軽視する空気感
「きっと大丈夫」という思い込みで、誰も改めて最終データを細かくチェックしなかった。


1と2はそもそもバージョン管理すればいいだけなのだが、
バージョン管理ツールが導入されていないゆえ、手動とファイル名管理というアナログ対応に問題があるのだが、、、。
もう4回稟議出してるんだがいかんせん通らないw

「僕は自分でやれていた!なんでそんなものが必要なんだ!」なんて上司に言われても、

時代も違うし扱うデータの総量も数十倍になっているし、定量比較できていない。

その上で、あなたができたからというのは会社の汎用的な効率化・システム化とは全く関係ない。

これだから俺はやれていた系の人間は困る。


最後の見直しが救うもの

さて話が逸れたので、私たち凡人の話に戻そう。

この出来事は、油断がどれだけ大きなリスクを生むかを示す典型例だと思う。特にデジタルデータを扱う職場では、目に見えないミスが最も怖い。「確認したはず」が「確認していなかった」ことに気づくのは、ほとんどの場合、取り返しがつかなくなった後だ。

「忙しいときほど、最後の確認を怠りがちになる。でも、その“もう一度確認”を怠らなければ、ほとんどのミスは防げる。」

確かに、私たちは日常生活でも似たような経験をする。メールを送る前にもう一度内容を確認しておけばよかったとか、買い物リストを見直しておけば余計なものを買わずに済んだとか。どれも「最後の見直し」があれば防げたことだ。

確認はチーム全体の責任

この件はチームで話し合い、今回の件を受けて、データ確認のフローを見直すことになった。
最終確認の責任者を明確にし、納品前には必ず複数人でクロスチェックする体制を整えたい。

しかし、結局のところ「確認はチーム全体の責任」だと思う。
個人がどれだけ丁寧に仕事をしても、チーム全体で確認の重要性を共有していなければ、同じようなミスが再発する可能性が高いからだ。
また、普段からまえもってレギュレーションを用意したり、事前の段取りを徹底したい。

この記事を読んでくれたあなたへ

忙しい時こそ、最後の見直しを忘れないでほしい。そして、確認を軽視しない職場の雰囲気づくりが大切だと思う。

今回の件を通じて、この職場をどのように改善していくか、どうされていくか、引き続き注目していきたい。

みなさんの職場では、確認作業をどのように徹底していますか?コメント欄でぜひ教えてください。

三連休の突貫作業も避けられない負のループ――渋谷のオフィスが泣いている

世間は三連休。

多くの人にとっては、家族や友人との時間を楽しむ貴重な機会だろう。
成人の日もあるから、お祝いと名物のご乱心に世の中わ溢れるのかもしれない。


しかし、我が家では三連休といえば「僕の出勤日」とほぼ同義だ。
今回も例外なく、僕は妻を起こし、昼食の手配をして、朝の家事を済ませたて、朝早く家を出た。


この三連休の業務は、「部下と現場を繋ぐため」らしい。
要するに、現場からの情報が部下に正確に伝わらないから、調整役として出勤せざるを得ない状況だ。
これだけ聞くと重要な役割のように思えるが、正直、無駄が多すぎる。


本当にバカくさい。

渋谷に構えたオフィスは立派で、チーム体制も整っているはずなのに、なぜこんな事態になるのか。
どう考えても、会社全体の意思決定プロセスが問題に思える。



意思決定が遅い
 ↓
待機人員と突貫作業が増える
 ↓
ギリギリで差し戻し・リテイクが飛び交い荒れる荒れるw
 ↓
なんとかなったように見える (本当になっているかどうかは別である)
 ↓
適切な反省なく、次の山場へ向かう。



これが、今の職場で繰り返される負のループだと思う。

例えば、あるプロジェクトの方針がギリギリまで決まらない。
結果として、現場での準備が遅れ、突貫作業が増える。
そのせいでミスや混乱が生じ、現場は大荒れになる。

しかし、不思議なことに、最終的には「なんとかなる」。

そうして「今回もよく頑張った」という満足感で終わってしまい、
本来必要な振り返りや改善が行われないのだ。
この状況に疑問と不満を感じながらも、
改善しろ!と指示は頻繁に降りてくる。
様々提案しているが、、、、。

しかし、私は思う。
この「なんとかする」姿勢こそが、無駄を生み続ける原因ではないのだろうか?
そして本当の原因は・・・。

上流の決定を高速化することが、何にも代えられないコスト削減

現場での無駄を削減するために、上流の意思決定をもっと早めるべきだと思う。
早く決めることで、準備期間を確保し、突貫作業を防ぎ、全体の効率を高めることができる。
これほど簡単なことなのに、なぜ改善が進まないのだろう。

「会社全体が、ギリギリでなんとかする文化に染まっているんだろうね」と妻も苦笑いする。
その言葉を聞きながら、私はどうしてもモヤモヤしてしまう。

渋谷の立派なオフィスが、ただの荒地のほったて小屋にしか思えないのだ。

※写真とオフィスは無関係です。

三連休を無駄にする働き方を変えるには

今のままでは、僕の休日はこれからも犠牲になり続けるだろう。
だが、本当にそれで良いのだろうか・・・。いいわけないよね・・・。

無駄な出勤を減らし、家族との時間を確保するためには、個人の努力だけではどうにもならない。
職場全体の意識改革が必要だ。

私は部下と他社員みんなの背中を見ながら、ただ思う。
「この負のループから抜け出す日が、いつか来るのだろうか」と。

皆さんの職場では、同じような課題はありませんか?
改善に向けた取り組みがあれば、ぜひ教えてください。

人生には「まさか」があった。

◯7月中旬

社長A氏に呼び出され、会社売却の話を聞く。

 

◯その数日後

渋谷の場違いなビルに呼び出され、先方の取締役O氏と面談。なぜか好評。

 

◯さらに数日後

もう一度同じビルに呼ばれ、先方社長との面談。これも何故か好評。

みんなへの説明よろしくと、A社長。

何で僕やねん。

 

◯8月1日

売却完了。A社長の退任、前だっての取締役が新たな社長になるとのこと。

本社ビルへの移転の指示を受ける。

 

◯8月3日

妻と最寄駅でランチを食べていると、新社長でもある取締役から連絡が来る。

「グループ中核企業の、グループ長に就任するでいいよね?」との事。

 

ん?

 

え?

 

「よくわからないかもしれないけど頼むよ。そう社長に話すから。」

 

そう言われて電話終了。

 

よく月曜日出勤してみると、

今いる企業の役員たちははいなくなったのでリーダーポジションになった上、追加で中核企業のグループ長になっておりました。

 

どういう事ー!

 

 

でもお給料は据え置きだそうです。

 

 

本当に、どういう事ー!!!!